共感性羞恥者の日常
小学生の頃、給食で嫌いなものが食べられずにいつも残されている同級生がいました。
皆が遊びにいったり、お話をしたりする中でポツンと教室に残され、黙々と給食を食べている光景。
その光景を昨日の事のようにはっきりと思い出せます。
私は日本のドラマや映画をあまり見ません。とにかく『人前で恥をかくような』描写が多く、『誤解で誰かを攻撃してそれが露呈する』というエピソードが1つは必ずあるように思います。
ちなみに私自身は好き嫌いがなく、何でも食べられます。『自分の嫌な経験』が想起されて辛いのではないです。人の感情が自分の中に流れ込んでくるような感覚で、私はそういった場面に遭遇すると耐えられずに逃げ出してきました。
逆に考えてみれば、小学生の記憶でそれが1番嫌な思い出なのは幸運かもしれません。私の学校では「いじめ」はなかったので。
もし私の学校でいじめがあったとしたら(想像することでさえ苦痛ですが)きっと頼りになる先生へ相談したり、何らかの方法でいじめを止めようとすると思います。
「優しさ」ではありません「自分のため」です。
とはいえ、私は人の優しさの素は共感性だと思っています。別に心が無いわけではないのに他人に対して酷な事や無責任な事を言い放つ方がいらっしゃいますが。それを言って相手がどう思うかと考える想像力や共感性が貧しいのだと思います。
個人的にはそういった「無神経」とか呼ばれている人が羨ましいと感じたりもしてます。(ないものねだりですが)この共感性羞恥というストレスフルな特性を分けてあげたい。(無理)
ちなみに日本のドラマでもギャグっぽいものなら見られます。「リーガルハイ」とか。半沢は無理でした。
※共感性羞恥・・他人が恥をかいているようなネガティブな場面を見ると自分の事のように感じてしまう特性。